歌詞のこだわりを、アルバムごとに振り返ってみる。


前回の記事で、「次は各アルバムの歌詞のこだわりについて書く」と予告しました。
改めて最初の作品から順番に歌詞を読み返してみると、作品ごとに少しずつ視点が変わっていることがわかります。
これは、偶然そうなったものではありません。
e-Muを始めたときから、作品を重ねるごとに、歌詞の視点を少しずつ内側へ向けていく構想がありました。
最初は、街や物といった目に見えるものから始める。
そこから人の感情へ。時間や変化へ。そして、その感情が生まれる理由や、人間そのものが持つ矛盾へ。
AI音楽として始まったe-Muが、作品を重ねるごとに少しずつ人間の内側へ近づいていく。
これまでのアルバムは、そんな流れを最初から意識して作っています。
Midnight Neon ― 夜の風景から始まった
最初の『Midnight Neon』では、とにかく具体的なものを書いています。
コインランドリーの洗濯機。
暗室の現像液。
車のフロントガラス。
深夜のコーヒー。
雨に濡れた路面。
交差点を行き交う人々。
今振り返ると、この頃はまだ「自分の気持ち」を真正面から書こうとはしていません。
代わりに、目の前にあるものへ感情を預けています。
洗濯機が回り続けること。
写真が少しずつ浮かび上がること。
ネオンが窓を流れていくこと。
それ自体には感情なんてないはずなのに、一人で夜に見ていると、なぜか自分の状態と重なって見える。
『Midnight Neon』の歌詞は、そこから始まりました。
だからこのアルバムでは、何かを説明することよりも、ひとつの風景を置いて、そこから何を感じるかを聴く人に残すことを大事にしています。
Gray City ― 風景と自分の距離
『Gray City』も、街を見ているという意味では『Midnight Neon』と近い作品です。
ただ、少し違うのは「距離」を強く意識するようになったことです。
煙、ガラス、霞、窓、カメラ、コンクリート。
このアルバムには、何かと何かの間にあるものがよく出てきます。
『Gray Vague』では白と黒。
『City Haze』では二人の曖昧な距離。
『Dew Glass』では内側と外側を隔てるガラス。
『Concrete Silence』では、何とも混ざらずに立っている構造物。
特にこの頃から、「孤独=寂しいもの」と決めつけない書き方をするようになりました。
一人でいることは、必ずしも救われるべき状態ではない。
誰かと混ざらないことや、一定の距離を保つことで守られるものもある。
『Gray City』では、都市の風景を描きながら、そんな「個でいること」を重ねています。
Faded Bloom ― 終わったあとに残るもの
『Faded Bloom』は2曲だけの短い作品ですが、自分の歌詞の方向が少し変わった作品でもあります。
ここで見ているのは、花そのものというより、花が終わったあとです。
咲いている瞬間ではなく、散ったあと。
そこにあったものが、なくなったあと。
何かを失ったとき、人は「もうない」という事実だけを見るわけではなくて、むしろ、なくなったことで初めてその存在を強く意識することがあります。
消えたものと、残ったもの。
この感覚は、後の『Pale Ache』や『Verdant Paradox』にもつながっていきました。
Silent Dock ― 理屈より先にあるもの
『Silent Dock』では、夜の港という具体的な風景を使っています。
冷たいコンクリート、錆びた鉄、潮の匂い。
でも、この曲で描きたかったのは港そのものというより、言葉で整理するより先に動いてしまう感覚でした。
理由をつけて、意味をつけて、納得してから動く。
人間はいつもそんなに整然とはしていない。
頭では説明できないのに、なぜかそちらへ行きたくなる。
初期作品の中では、風景の奥にある人間の衝動へ少し近づいた曲だと思っています。
Pale Acheへの伏線でもあります。
Amber Light ― 消えたあとにも残る温度
『Amber Light』では、もう一度「光や温度」を中心にしています。
『Amber Keys』の琥珀色のコーヒーとピアノから始まり、
『Luminous Drift』、
『Ember Radio』、
最後の『White Out』へ。
ここで興味があったのは、光そのものより、光が移っていくこと、そして消えたあとにも何かが残ることでした。
音が止まっても、その時間はなくならない。
火が消えても、その温度を覚えている。
夜が明ければ、夜そのものは見えなくなる。
でも、「なくなる」と「なかったことになる」は違う。
『Faded Bloom』で少し見え始めていた「失われたあとに残るもの」を、光や音や温度を使ってもう少し掘り下げた作品です。
Pale Ache ― 感情そのものを見る
『Pale Ache』で、視線を大きく内側へ向けました。
このアルバムには、それぞれの曲にひとつずつ感情の核があります。
羨望。
衝動。
禁忌。
乖離。
依存。
没我。
煩悶。
未練。
追慕。
そして、解放。
ここでやりたかったのは、これらを「悪い感情」として処理することではありません。
羨ましいと思うことも、誰かに依存してしまうことも、忘れられないことも、自分を見失うこともある。
それをすぐに克服させたり、前向きな結論へ持っていったりせず、まず、その感情がそこにある状態をちゃんと見る。
それが『Pale Ache』の書き方でした。
だから最後の『Light Steps』も、すべてを乗り越えて別人になるような終わりではありません。
抱えていたものが少しだけ軽くなって、歩けるようになる。
そのくらいの変化で終わらせています。
Gradual Hue ― 「変わった瞬間」ではなく、その途中
『Gradual Hue』で書きたかったのは「移行」です。
春から初夏へ。
真夏。
満月から新月へ。
秋から冬へ。
夜中から朝へ。
晴れから雨へ。
そして、次の春へ。
どれも境目を正確には指せないことです。
何月何日から夏になったのか。
どの瞬間に夜が朝になったのか。
晴れはいつ雨になったのか。
あとから見れば確かに変わっているのに、その途中にいるときには、変化した瞬間がわからない。
人の気持ちも同じだと思っています。
いつ好きになったのか。
いつ冷めてしまったのか。
いつ忘れ始めたのか。
その瞬間をひとつに決めることは難しい。
だから『Gradual Hue』では、結果ではなく、色が少しずつ変わっていく途中そのものを書いています。
タイトルの「Gradual Hue」も、そこから来ています。
Verdant Paradox ― 感情の奥にある「なぜ」を考える
そして『Verdant Paradox』では、もう一段奥へ進みました。
ここでテーマにしたのは「逆説」です。
『Named Twice』では、自分という存在は自分だけでつくられているのか。
『Familiar Stranger』では、自分を知ろうとするほど、なぜ自分がわからなくなるのか。
『Chronic Longing』では、満たされたいと思うほど、なぜ足りないものが増えていくのか。
『Unshot Moments』では、残そうとしたものより、なぜ残さなかった時間の方が記憶に残るのか。
『Closing Doors』では、自由とは何なのかを考えました。
子どもの頃は、選択肢が多いことが自由だと思っていた。
でも実際には、何かをひとつ選ぶたびに、選ばなかった可能性は閉じていきます。
それでも僕らは選び続ける。
だからこの曲では、自由を「すべての扉が開いている状態」ではなく、自分で選び、閉じてきた扉によって形づくられるものとして書いています。
『Imperfect Us』で書いたのは、完全に分かり合うことを前提にしない愛です。
同じ人間ではない以上、全部を理解することなんてできない。
それでも、一緒にいることはできる。
そして最後の『Empty Chair』では、さらに他者から自分へ戻ります。
自分の中にある空白を、誰かに埋めてもらおうとする。
でも、本当にそこを埋められるのは他者ではなく、自分自身なのかもしれない。
誰かを愛することと、自分を満たすことは別のこと。
『Verdant Paradox』は、そうやって一曲ずつ、普段は当たり前に使っている「自己」「欲望」「記憶」「自由」「愛」といったものを、もう一度考え直したアルバムです。
「頑張ろう」をほとんど書かない理由
こうして振り返ると、僕の歌詞には、
「頑張ろう」
「前を向こう」
「自分を好きになろう」
という言葉がほとんどありません。
これは意識して避けています。
なくなったものは、なくなったまま。
満たされないと感じることもある。
選ばなかった人生には戻れない。
自分のことさえ、完全にはわからない。
誰かを愛していても、その人が自分のすべてを満たしてくれるわけではない。
僕は、それを無理にポジティブな言葉へ変換したくありません。
その代わり、歌詞を書くときに大切にしているのが、「なぜそう感じるのか」を考えることです。
満たされない自分を「もっと頑張らなきゃ」と変えるのではなく、
「満たそうとするから、足りないものが見えるのかもしれない」
と考えてみる。
選んだ道を後悔している自分に「振り返るな」と言うのではなく、
「何かを選ぶということは、選ばなかったものを失うことでもある」
と考えてみる。
そうやって自分の感情に説明がついたとき、問題自体は何も解決していなくても、少しだけ楽になることがあります。
僕が歌詞でやりたいのは、たぶんそこです。
自己肯定というより、自己理解を経由した自己受容に近い。
「こんな自分でも素晴らしい」と言い聞かせるのではなく、
「自分がこう感じていたのには、ちゃんと理由があったんだ」
と気づくこと。
最初の『Midnight Neon』では、夜の街を見ていました。
『Gray City』では、その風景と自分との距離を見るようになった。
『Faded Bloom』『Silent Dock』『Amber Light』を経て、
『Pale Ache』では感情そのものを見るようになった。
『Gradual Hue』では、その感情や時間が変わっていく途中を見た。
そして『Verdant Paradox』では、
「そもそも、なぜ人はそう感じるんだろう」というところまで考えるようになりました。
風景から、感情へ。
感情から、その仕組みへ。
振り返ってみると、e-Muの歌詞はそんなふうに少しずつ視点を内側へ動かしてきたのだと思います。
e-Muとして「こう生きるべき」という答えを渡したいわけではありません。
むしろ、答えが出ないことの方が多い。
それでも曲を聴いた誰かが、自分の中にずっとあった感情について、
「ああ、そういうことだったのか」
と思える瞬間があればいい。
今は、そんな言葉を曲の中に置いておきたいと思っています。




コメント